AIの地政学 — 生成AIをめぐる米中競争と企業戦略への影響
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2025/8/14
1.AIの地政学とは何か
AIの地政学(AI Geopolitics; Geopolitics of AI)とは、国家が人工知能(AI)を中心としたデジタル技術分野において優位性をめぐり競争する、新しい国際政治の構図です。かつて技術革新は主に経済発展の観点で語られてきましたが、生成AIの登場は、日常生活や産業を変革するだけでなく、軍事への応用可能性も非常に高いことから、国家安全保障および経済安全保障上の重要問題となっています。ニューヨーク・タイムズ紙等主要メディアは、汎用人工知能(AGI)の開発競争を「AI版マンハッタン計画」と例え、AIをめぐる国家間の緊張の深刻さを訴えています。また、米国の政治学者ジョセフ・ナイも「情報技術で先行する国家は国際的影響力を拡大し、遅れる国家は地位を失う」と述べ、AI技術の掌握が国家の将来的な位置づけを左右することを示唆しています。AIの地政学は、現代における安全保障や国際秩序を理解する上で不可欠な概念となりました。
2.AIをめぐる米中の地政学的攻防
生成AIの分野では米国と中国の対立が特に際立っています。
米国はOpenAIやGoogleを軸に、現状では大規模言語モデルの性能やAI半導体技術で世界をリードし、人材・資金・研究インフラでも競争優位を維持しています。また、政府は、最先端AIチップの対中輸出規制および対中投資規制を強化し、中国のAI開発を抑制しようと動いています。
一方、中国は豊富な人材と巨大なデータ資源を活用して急速に追い上げを図っています。実際、DeepSeekをはじめとする高度な生成AIモデルの開発に成功しており、AI関連特許出願数においても2021年以降毎年米国を上回っています。この勢いを加速させるべく、中国政府は習近平国家主席が主導した2025年4月の党中央政治局会議で、「自立自強」(自らを立て強くする)と「自主可控」(自ら制御可能)を掲げ、AI技術の完全自給体制の構築を指示しました。これは、中国の次世代人工知能発展計画で掲げた「2030年までに世界のAIリーダーになる」と言う目標を加速させるものであり、米中間のAI競争は今後さらに激化すると予想されています。
3.日本企業への影響
AIをめぐる米中競争は日本企業にも深刻な影響を与えています。日本政府は当初、「責任あるAI」を掲げ、米国と協調し、生成AIの規制策を検討していました。しかし第二次トランプ政権発足わずか3日後の2025年1月23日、前バイデン政権のAI規制撤廃をしたことを契機に、米国をはじめ世界的なAI規制の見直し機運が高まると、日本は方針を転換。2025年2月に、内閣府AI戦略会議は、「世界で最もAIを開発・活用しやすい国」を掲げ、2025年5月に、企業への規制義務は軽微な努力義務にとどめ、世界に先駆けてAI研究開発や実装を促す包括法(AI促進法)を制定しました。これにより、民間セクターは国内で生成AIを積極的に活用しやすい環境を獲得しました。ただし海外製AIの利用には、開発元の文化や言語によるバイアスが生じる可能性があり、米中対立による地政学的リスクも無視できません。このため、各国が自国の言語・文化に基づく「ソブリンAI(主権AI)」の開発を模索しているように、日本企業にとっても生成AI基盤の自律的な確立が経営課題として重要になっています。日本企業は政府の支援を活用しつつ、AIの地政学リスクを十分に考慮した戦略的な取り組みを進める必要があります。
4.AIの地政学を企業戦略に組み込むには
AIの地政学の潮流は、企業経営において無視できない課題となっています。米中のAI競争により、2025年の世界は技術標準やデータ規制が分断され、政治・経済の二極構造に向かいつつあります。その結果、企業は市場ごとの規制やルールを把握し、それに柔軟に対応する経営戦略を構築する必要に迫られています。一方の技術を採用すれば片方の市場で優位を得られますが、もう一方の市場では参入が制限されるというジレンマも現実化しています。このため、一部のグローバル企業は中国市場と欧米市場向けに異なる技術スタックやガバナンス体制を整備し、規制変更に迅速に対応できる仕組みを構築し始めています。
重要なのは、経営トップ自らがAIの地政学リスクを明確に認識したリスク管理体制の構築をけん引することです。自社が依存する技術基盤に潜むリスクを洗い出し、あらゆる意思決定に地政学的視点を組み込むことが求められます。AIの地政学を経営戦略に統合することは、不確実性が高まる世界で企業価値を守り、さらに向上させるための重要な要素となっているのです。
執筆コンサルタントプロフィール
- 大野 有生
- CDOユニット チーフデジタルオフィサー