企業レジリエンス強化における浸水ハザードマップの活用 その3
2025/5/19
目次
- はじめに
- 国と企業の浸水対策の現状
- 企業の浸水リスクの対策検討
- 目的に応じたハザードマップの選択と応用
- 企業レジリエンスにおけるハザードマップの活用
企業レジリエンス強化における浸水ハザードマップの活用 その3 - Tokio-dR EYEPDF span>
執筆コンサルタント
帶向 伸悟
企業財産本部 リスクソリューションユニット 研究員
専門分野:自然災害リスク、気候変動リスク
小木 夏海
企業財産本部 企業財産リスク第一ユニット 研究員
専門分野:火災・爆発リスク、自然災害リスク
坂場 律和
企業財産本部 データビジネス創発ユニット 兼 企業財産リスク第三ユニット 兼 リスクソリューションユニット 主席研究員
専門分野:自然災害リスク、気候変動リスク

羽柴 利明
企業財産本部 リスクソリューションユニット 主席研究員
専門分野:気候変動リスク、自然災害リスク

1. はじめに
近年、気候変動の影響により河川氾濫や豪雨などの気象災害が激甚化・頻発化しており、企業は浸水リスクの把握と対策が求められている。しかしながら、多くの国内企業においては、現在および将来の浸水リスクの対策が十分に行われていない[1]。本レポートでは、3回にわたって企業のレジリエンス強化のためのハザードマップの活用方法について説明する。その1では、日本で一般的に使用される国土交通省の浸水想定区域図の特徴と課題について、その2では、浸水想定区域図以外のハザードマップの特徴と利用について紹介した。その3では、企業のレジリエンス強化のためのハザードマップの活用方法を紹介する。
2. 国と企業の浸水対策の現状
日本では、急峻な地形と頻繁な降雨という条件から、国主導で堤防やダムなどの治水対策が行われてきた。一方で、企業は国の対策だけでは回避できないリスク、例えば数百年~数千年に一度発生する浸水リスクを損害保険会社に移転することで対応をしてきた。日本における国または企業が取り得る代表的な浸水対策を図1に示す。これらのリスクは発生確率が極めて低いため、企業は低コストで保有資産全額を損害保険でリスク移転することが可能であった。
ところが、近年の気候変動による気象災害の頻発化によって、国は十分な治水対策を講じることが難しくなり、「流域治水」をキーワードに水害を未然に防ぐのではなく、地域全体で協力して浸水被害を軽減していく方針に舵を切った[2]。他方、損害保険会社は、気象災害の頻発化や各種社会情勢の変化などにより火災保険の赤字が常態化し[3]、将来にかけて保険料の大幅な値上げや補償内容の縮小の傾向がみられる。このような環境変化の中、企業は浸水リスクへの対応方針の転換を迫られているといえる。
図1 国または企業が取り得る浸水対策の事例(赤枠は現在主に選択されている対策を示す)(弊社作成)
3. 企業の浸水リスクの対策検討
(1)リスクシナリオを用いて対策を検討することの課題
企業のリスクへの対応方針を検討する際、建築分野や土木分野では「政府想定ハザード」などのリスクシナリオを一つに定めて分析することが一般的である[4]。しかし、水害は地震被害とは異なり、対策の効果が「浸水なし」か「浸水あり」に二極化される特徴がある。例えば、止水板は浸水深が止水板の高さ以下であれば効果があるが、それを超えると効果がない。止水板などのハード対策には数億円から数十億円の高額な費用が掛かるうえ、リスクシナリオが変わると対策の効果が失われるおそれがあるため、対策を実行するか否かの判断が難しいという課題がある。
(2)発生確率を用いた検討事例
この課題を解決するためには、発生確率、損失規模、および気候変動による時間変化の3要素を考慮し、止水板などのハード対策と保険などのソフト対策の効果を見定めながら検討[5]を進めることが考えられる。その一例を図2に示す。図の縦軸は損失規模、横軸は発生確率を示し、現在(a)と将来(b)および対策の有無(b-1,b-2)によるリスクカーブをそれぞれ示す。この例では、気候変動の影響で企業が抱えるリスク量(リスクカーブの面積)が増大する(b-0)。企業は保険(b-1)や保険と止水板の併用(b-2)によって、最終的に残るリスクを低減させることができる。しかし、対策を講じても低頻度事象により莫大な損失が発生するリスクを完全に無くすことは難しく、企業には依然として大きなリスクが残る。
図2 リスクマトリクスによる浸水対策の検討例(弊社作成)
(3)リスクの回避と保有のバランス
国内企業の多くは、リスクを完全に回避することを好み、リスクを積極的に保有することを好まないことが一般にいわれている例えば[6]。さらに、発生頻度が低く予測が難しい事象はリスクを過大評価しやすい傾向にあり[7]、保有の判断を下すことをより困難にしている。しかし、リスクを完全に避けようとすると、高額な対策費用と保険料が必要になり、経済合理性を欠くこととなる。そのため、各対策の費用と便益を比較して、リスクの回避と保有の最適なバランスを見つけることが望まれる。経営層やリスクマネージャーは、リスク許容度や戦略、管理方針に基づいてこのバランスの判断を下す。そのため、企業が浸水対策を進めるためには、多角的なリスクの分析・評価を行い、意思決定や議論が十分できるような判断材料を揃えることが必要である。
4. 目的に応じたハザードマップの選択と応用
浸水リスクの分析・評価には、浸水ハザードマップが有効である。国内で利用できるハザードマップの特徴は、レポートのその1とその2で説明しているのでそちらをご参照いただきたい。ただし、いずれのハザードマップにおいてもすべての河川を網羅しているわけではなく、小規模河川は対象外であることに注意が必要である。例えば、事業拠点の近くに河川などの水域がある場合、ハザードマップがない場合でも最低限の水害対策を講じることが望まれる。
国内の浸水リスクを分析・評価する際は、国土交通省が提供する浸水想定区域図が第一の選択肢となる。このハザードマップは、降雨から浸水に至る一つ一つの事象を詳細データに基づいて解析しているため、信頼性の高い結果が得られる。一方で、その特徴として、避難計画の策定が目的であること、低頻度事象を中心に扱っていることが挙げられる(その1参照)。そのため、PML(予想最大損失)やEML(想定最大損失)などの水害発生時の損失額把握やBCPのシナリオ策定に有効である。一方、その2で紹介した浸水想定区域図以外のハザードマップは、計算過程を省略する代わりに、発生確率(再現期間)や現在、将来の気候シナリオごとの浸水深を得ることができるため、高度なリスク分析や評価が可能である(一例として図2参照)。各ハザードマップにはそれぞれ特徴があり、得手不得手が異なる。その特徴を理解したうえで、目的に応じて使い分けることが重要である。
5. 企業レジリエンスにおけるハザードマップの活用
浸水対策は非常に難しいものであるが、目的に適したハザードマップを選択することで、対策の有効性を多角的に分析・検討ができる。例えば、止水板を設置したとしても低頻度事象の損失額を抑制することは困難だが、高頻度事象による損失額を抑制することは可能である。不測の事態を減らすことで、企業が保有するリスクの質を向上させることが可能となる。また、浸水を抑制できない場合も、事業拠点の被災影響に関する確認、指示、報告などのコミュニケーションを促進させることで、事業影響への拡大を抑制することができる。このようにリスク全体を俯瞰することができる分析結果は、意思決定や議論の判断材料として有効である。全社的なリスク戦略、リスク管理方針を定めることで、ハード対策、ソフト対策、保有といった包括的な浸水対策をバランス良く進めていくことが望まれる。
参考情報・サービスご案内
執筆コンサルタント
帶向 伸悟
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小木 夏海
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羽柴 利明
企業財産本部 リスクソリューションユニット 主席研究員
専門分野:気候変動リスク、自然災害リスク

リスク評価(水災)

浸水害による被害想定、対策策定支援

脚注
[1] | 国土交通省, 民間企業の水害リスクに関する情報開示の実態調査, 2024 https://www.mext.go.jp/content/20240628-mxt_kankyou-000036795-1.pdf |
[2] | 国土交通省, 流域治水の推進, 閲覧日2024-12-26, https://www.mlit.go.jp/river/kasen/suisin/index.html |
[3] | 金融庁, 金融審議会 損害保険業等に関する制度等ワーキング・グループ 報告書, 2024 https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20241225/1.pdf |
[4] | 国土交通省, 浸水被害防止に向けた取組事例集~社会経済被害の最小化の実現に向けて~, 浸水被害防止に向けた取組事例集, 閲覧日2024-12-26, https://www.mlit.go.jp/river/bousai/shinsuihigai/index.html |
[5] | 文部科学省, 水害リスクを踏まえた学校施設の水害対策の推進のための手引, 2023 https://www.mext.go.jp/content/20230530-mxt_bousai-000030037_10.pdf |
[6] | 胥鵬, リスク・テイキングと企業成長, RIETI Discussion Paper Series 15-E-061, https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/15e061.html |
[7] | Graham, D. A., Cost-benefit Analysis under Uncertainty, American Economics Review 71, 1981 |